2022/11-2 新竹・北埔老街再訪 ~ 蕭 鸞飛(しょう れんひ)さんを再訪する

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蕭 鸞飛(ショウレンヒ)さんは、とてもお元気でした

今回、北埔老街に行ったら、以前お会いした蕭 鸞飛(ショウレンヒ、中国読み:シャオ ルアン フ ェイ)さんを訪ねてみようと思っていました。

最初にお会いした時には、すでにかなりご高齢だったのでもしかしたら?とも思ったのですが、とにかく行ってみると土間で6〜7人が談笑中でしたが、蕭さんは見当たりませんでした。

その中の方に私の蕭さんについての投稿記事を見せると「おぅ、日本人!等一下(ドンイィシアちょっと待って)」と言って奥へ。それで、まだ生きてらっしゃるんだなとわかりました。

少し待つうちに蕭さんが出て来られました。現在101歳。耳が少し遠くなったとのことですがお元気でした。

もちろん通りすがりの旅行者だった私のことなど覚えているはずもなく、最初は「誰だ、こいつは?」みたいな感じがありましたが、私の前の投稿を見ていただいて、お元気でいらっしゃるかご挨拶に伺いましたと説明すると、とても喜んでくださいました。


今でも蕭家の宗長として一族を率いていて、宗族の皆から尊敬されているようです。

下の写真は100歳の時に蕭家の宗族会でのお祝いの記念写真です。

昔のお話を少し聞いて、ご挨拶して帰ろうとすると「ちょっと待ちなさい、これをもって行きなさい」と東方美人茶を下さいました。「このお茶は、ここらでしか取れないお茶だから」とのことでした。

前に伺った時も、東方美人茶は茶葉にウンカという害虫が発生して、その分の中の微生物が作用して美味しいお茶になるとかで、ウンカが発生するかどうかは天任せ、ウンカが死んだらいけないので農薬もまけないので世話が大変なのだ、というお話を伺いました。

お別れの際もわざわざ玄関先まで出て下さって、私が曲がり角を曲がって見えなくなるまでずっと見送っていてくださいました。

次にいつお会いできるかどうかは分かりませんが、どうぞお元気でおすごしください。


(2022/11/13)

********* 以下は、以前の投稿です。*******

新竹・北埔(ベイプゥ ほっぽ)探訪 ~ 蕭 鸞飛(しょう れんひ)さんについて(3)

蕭 鸞飛(シャオ ルァン フェイ しょう れん ひ)さん

さて、天水茶房の老板に引き会わされたおじいさん、蕭鸞飛(シャオ ルゥアン フェイ しょう れん ひ)さんについて簡単にご紹介しておきます。

蕭さんは1922年、北埔地区の有名な漢方医の一人っ子として生まれました。
生まれた当時は台湾は日本統治下だったので日本籍でした。

小学校、中学校と日本式の教育を受けているので、日本語はペラペラです。

蕭さんは、15歳(1936年)のときに、鹿児島県の鹿屋の農業学校(現:鹿屋農業高校)で獣医学を勉強し、卒業後に故郷に帰り、郡役所で獣医として勤務します。

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戦争でインドネシアへ

さて、太平洋戦争で台湾人も軍隊に入ることが出来るようになりました。
蕭さんは現地で編成された台湾人部隊に志願し配属され、朝鮮人部隊、鹿児島県の部隊と一緒にインドネシアへ派遣されました。

戦地では一番荒っぽくて強かったのは朝鮮人部隊、その次が鹿児島県人部隊。
台湾人部隊は、おとなしくて戦さはあまり強くなかったと笑っておられました。

日本が戦争に負けて、台湾人は台湾に戻り昔の生活をしていたところに、大陸から国民党の軍隊が台湾を治めるためにやってきました。

しかしこの軍隊は、実の所は大陸で中国共産党との闘争に破れて台湾に逃れてきた、いわば敗残兵で士気も低く統制も取れていないような状態でした。

当時の台湾人は、日本式の教育を受けていて教養も知識もあったが、国民党軍の兵士は教育も受けておらず制服の着方などもとてもだらしなく見えた。

そんな国民党軍の兵士が、上から目線であれこれ台湾人に指示をするのが癪にさわったとおっしゃってました。

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戦後は村長などの要職を

蕭さんは、戦後はこの地区の村長や、区長もされてこの地方の産業の発展などにも功績があった方のようです。
地元の新聞で「蕭さんの波乱万丈の人生」が特集され、新竹市役所にもその新聞記事が長期間掲示されたそうです。

下の写真の左側がその記事の拡大版で、新聞社がイベント掲示用に作成したものだそうです。

右のポスターは、蕭家の祝賀会で蕭さんが日本舞踊を踊っているところです。ポスターによると蕭さんは蕭家一族の宗長とのことです。

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台湾では、かつては日本語が共通語

蕭さんが話すのは、日本語の他に客家(はっか)語。中国語(北京語)は得意ではないそうです。
多分、台湾語は話さ(せ?)ないと思います。

これには、ちょっと説明がいると思います。

日本統治時代は、言葉は共通語として日本語が使われ、それ以外には台湾語、客家語、各原住民語などが使われていました。

台湾語、客家語、原住民語の相互間では、全く話が通じなかったそうですが、日本が学校教育を始めてから日本語を共通語として、各民族、部族間で話ができるようになったのだそうです。

話がそれますが、台湾でお会いした方で日本語を話す年配の方は、少し古風ですがこちらが恥ずかしくなるくらいきれいな日本語を話す方が多かったです。

駐在していた時にお会いした年配の女性は、まるで昔のNHKのアナウンサーかと思うような日本語を話されました。

「日本語がお上手ですね。」と、私が言うと

「わたくし、台北高等女学校の卒業でございますの。」と凛としておっしゃいました。

因みに台北高等女学校は、台湾総督府の向かいにあり、現在では台北第一女子高級中学(高校)として、台湾の女子教育の中心的高校だそうです。

駐在時代の同僚が、「娘が台北一女に合格した」とすごく喜んでましたので、やはり難関校なのだと思います。

残念ながら、日本時代の教育を受けていて、日本語が喋れる”元日本籍”の台湾人の方は、皆さん高齢でその数はだんだん少なくなっています。

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中国語は、日本が引き上げてから拡がった

台湾で中国語が話されるようになったのは、日本が戦争に負けた後に、中国から国民党軍が台湾に入ってきてからです。

当時は、街頭に台湾人が集まって台湾語で話していると、台湾語が分からない国民党軍は、ひどいときにはその台湾人をスパイ容疑で逮捕したこともあったそうです。

そんな訳で、国民党の統治になってから学校では台湾語が禁止され、中国語が教えられ、反日教育も始められました。

そのため中国語が話せないおじいちゃんおばあちゃん世代と、台湾語が話せない孫世代間で話が通じないということが社会問題になり、学校で台湾語も教えるようになったのは、確か1980年代ころからだったようです。最近では客家語も教えているそうです。

面白いエピソードがあります。

九份を舞台にして、戦争直後の様子を題材に撮影された「非情城市」と言う映画があります。

その中で、台湾人の中に紛れ込んだ外省人、国民党のスパイを見つけるシーンがありました。

どうやってスパイを見分けたかと言うと、怪しいと思った人間に”日本語”で話かけるのです。
台湾人なら日本語が喋れますが、中国大陸から来た国民党軍のスパイは、台湾語は出来ても日本語は理解できないからです。 

さて、皆さんのどなたかが北埔に行って、天水茶房で擂茶を飲んだら、通訳代わりに蕭さんが呼ばれてくるかもしれません。

その時は、ぜひ北埔の昔の話し等を聞いてみたりしたらいいと思います。
良ければこのブログも見せていただけると嬉しいです。

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(2019/11/18)



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