台南で見た地獄の門が閉まる日 ~ 2018/9/9は、鬼月の最終日でした

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 2018年9月9日は、「鬼月」の最終日でした。

道教の信仰では、農(旧)暦七月は地獄の門が開き祖先が家に帰ってくる月で「鬼月」と呼ばれます。
そのために月初に家の前にお供え物をして紙のお金を燃やして天に送り、ご先祖さまをお迎えし、月末にはお送りする風習があります。

ただし、ご先祖さまだけならいいのですが地獄の悪霊や怨霊も一緒にこの世に出てくるそうです。ですから、悪霊怨霊に目立たないように、七月はおとなしくしていて、旅行、結婚、新築、引っ越しなどは控えるのだそうです。

また、夜間に笛を吹いたりすると悪霊が寄ってくるので、親は子供に夜は口笛を吹いたりしないように言っていました。(これは日本でも同じではないでしょうか。私が子供の時に親から、よく言われていました。)

 
地獄の門は、農暦七月1日から開き始め、15日に全開になり、街中にはご先祖さまや悪霊怨霊(気分を害さないように好朋友(ハオポンヨウと呼ぶ))が一杯です。

この農暦七月15日を「中元」といって、盛大にご先祖様と好朋友へのおもてなしをします。
翌16日から、地獄の門はまた閉まり始めて、ご先祖さまや好朋友は徐々に帰っていきます。

 台南の街で見かけたお祀り

2018年9月9日は、農暦七月30日その鬼月の最後の日でした。
七月一日に開いた地獄の門が、月末にその門が閉じる日です。
 
この日、台南でたまたま農暦七月末にご先祖さまとお別れしてお送りする「公私普度」のお祀りをしているところを見ることができました。

この日は、台湾中で大きい小さいは有っても同じような催しが行われていたはずです。
まだ帰らずに居残っているご先祖さまや好朋友を、気持ちよくお帰り願うためです。

一番有名なのが、港町基隆でおこなわれるものです。基隆中元祭
 
この台南の街の町内会クラスのところでも、ダンボール3箱分くらいの神銭を燃やしていました。
 
 
 

 裏通りを通行止にして宴会をする

たまたま台南で見たこの宴は、多分街の有力者が誰かが主催しているのだろうと思います。
通りを100mくらい封鎖して、手前と奥の二箇所のテント掛けでざっと80卓くらいあったと思います。(もちろん警察の許可証が掲示してありました。)
 
こういうふうに道にテント掛けして行う宴会は、台北駐在時にもちょくちょく見かけました。
ちょっと偉い方になると、街の名士としてメンツがありますから、町内の全部を招待したりします。
招待された側も、家族は当然として友人、親戚まで声をかけてやってきたりするので、一体何人来るかわからないんだそうです。
 
私が、昔、高雄の田舎の方で招待された結婚披露宴は、新郎の父親が市会議員ということもあってテントは写真の倍以上、駐車場を貸し切って500席くらいは用意したと言ってました。
まぁ、親が議員さんですから、選挙区民を全部招待するくらいのつもりだったんじゃないでしょうかねぇ。
 
 
さて、話が横道にそれてしまいましたが、この宴はこの世に里帰りしたご先祖さまとのお別れだけでなく、一緒に出てきた悪霊などにも、この世に居残って祟ったりせず、気持ちよく地獄に帰ってもらうこともその目的のうちです。
 
手前と奥のテントで合わせて80卓~100卓くらい有ったと思います。
この時は午後3時ころだったと思います。仕出し屋さんから来た料理を並べ終わったくらいでした。

 

 この料理は宴会ではなく、持ち帰り用かも・・・

流石に晴天で34~35℃の日でしたので、刺し身などの生物の料理は並んでいませんでした。
右下の煮魚、左上の蒸し鶏など火が通ったものとお菓子だったようにおもいました。

ただ、椅子がないことと、テーブルの上の料理の量から考えて、招待客(多分町内の住人)用のお持ち帰り用かもしれません。
 
 
紹介する順序が逆になってしまいましたが、通りの端のステージの上には、道士が3人お経を唱えていました。ご先祖さまの冥福を祈っているのだろうと思います。
 
さて、台北で友人に「一体、この祀りの費用は誰が出すのか?」と聞いたところ、「秋には台湾で地方議員の選挙があるからなぁ」みたいなことを友人が言ってましたので、ひょっとしたら、議員の選挙が絡む部分も有るのかもしれません。
(外国人なので、なんの根拠もなく憶測で好き勝手なことを言ってます。)

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