台南・飛虎将軍廟(2)日本人が守り神になったいきさつ

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なぜ杉浦兵曹長は、街の守り神「飛虎将軍」となったのか

飛虎将軍廟に行くと杉浦兵曹長(死後少尉に特進)が、飛虎将軍として祀られるようになった経緯がまとめられたパンフレットがもらえます。

故杉浦茂峰兵曹長 享年21歳

それによると、ここに祀られているのは、茨城県の水戸市出身の杉浦茂峰兵曹長(死後少尉に特進)です。杉浦兵曹長は、台南の海軍航空隊所属の戦闘機ゼロ戦パイロットです。

杉浦兵曹長は、1944年10月12日に台南を空襲した米軍機を迎撃したが、機体後部に被弾、発火して墜落しそうになった。

集落に墜落しそうな機体を立て直し、畑と養殖池へ墜落させた

被弾したゼロ戦戦闘機は、このままだと人口密集地の海尾寮に墜落してしまう。そう判断した杉浦兵曹長は、機体を立て直し、集落の東側、当時は畑や養殖池ばかりだった同安路の方に機体を墜落させた。

杉浦兵曹長は、パラシュートで脱出したところを米軍機に機銃掃射された。運悪く銃弾がパラシュートに命中して、今の飛虎将軍廟のあたりに、杉浦兵曹長は大の字になって墜死した。享年21歳。

終戦後いろいろと不思議なことが・・・

終戦(1945年)後何年か経ち、白い服を来た人物が常に池の周りに現れる等、いろいろと不思議なことがおきた。海尾朝皇宮の神様にお伺いをたてたところ、戦死者の亡霊とのことだった。

部落の人達は、この亡霊は海尾寮の集落を戦火から救うために、自分の身命を犠牲にした飛行士であろうと判断して1971年、4坪ほどの祠を建てて顕彰することにした。その後1993年に、信者達からの土地の寄進もあり現在の50坪の立派な廟に建て替えられた。

地元の小学校で歴史の授業で紹介される

この杉浦兵曹長の話は、地元の安慶国民小学校の鄭紀明先生によって地元の歴史の副読本として漫画になり、学校で使われた。その後、その漫画が日本語にも翻訳されて、鎮安堂でも配布されている。

以下に掲載するので是非ご覧いただきたい。

1ページ目

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9ページ目

※ ページ9には「朝晩7本の煙草を・・・」とありますが、鎮安堂のパンフレット、サイトには「朝夕二回、煙草を三本点火して・・・」とありますので、この投稿ではそちらを記載しています。

飛虎将軍が水戸市に里帰り

飛虎将軍のご神体が水戸市に里帰りしました。(平成28年9月21日~23日)その時の様子が水戸市のオフィシャルサイトに掲載されています。

水戸市オフィシャルサイト:「飛虎将軍」故杉浦茂峰氏について



飛虎将軍廟への行き方

バスで行く

・台南駅(北站)から:路線3(往海東国小)乗車、所要約30分 「同安路口」下車徒歩5~6分
・台南駅(南站)から:路線11(往城西里)乗車、所要約30分 「埤汌邉」下車徒歩7~8分

タクシーでいく

運転手に次の文を見せてください。

司機先生、請去安南区同安路 鎮安堂 飛虎将軍廟、謝謝
※ 謝謝は「シェイシェイ」ではなく「シエ、シエ」と発音してください。

鎮安堂 飛虎将軍廟

台南市安南区大安街730-1號
Tel : 06-247-8884



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(2024/03/20)

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